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こぼれる雫はゆうやみにとける 3 [こぼれる雫はゆうやみにとける]

ぼくが彼女に抱く気持ちはほんとに
「あこがれ」みたいなもので。
彼女がぼくより年上なのは
聞こえてくるエキストラとの会話でわかった。

ぼくが彼女にそんな感情を持っているなんて思いもしない先輩
(…たぶん、今も知らないと思うけど)が、
彼女に稽古をつけているときも
ぼくは彼女を傍でみていた。

彼女がそんなぼくに、
稽古をつけている先輩の肩越しに
いたずらに嫌な顔をしてみせたり、
肩をすぼめてみせたりするようになったのは
もう夏の半ばを過ぎていたと思う。

ことばを交わすことはなくても、
彼女のなかでぼくがエキストラの一員となって
存在しているだけでも上出来だ、と内心思っていた。

ぼくと彼女とが交わすのは
ホントに挨拶程度で
ぼくも時々
エキストラに混じってみたりもしたけど
特別に話をすることもなく。
ぼくが彼女に稽古をつけられる訳でもなく。
正直に言えば
彼女に何を話していいかもわからず、
これじゃまったく、中学生かよ、なんて思いつつ。

 
道場の駐車場にある大きな桜の木が
葉の色をなくしかけてきたころ
「もうすぐ誕生日ですか?」と、
とってつけたような質問を彼女にしたのを覚えている。

なんだよ、それ、って自分でも思う。
彼女は
「え?まだまだ先ですよ、誕生日」と屈託なく笑って
「どうして?」とラリーのきっかけにもなったから
まあ、結果として良かったんだけれど。

「あ、ナンバー、
車のナンバーがもしかして誕生日かと思って…」
質問がストーカーっぽかったじゃないか、と
舞い上がった自分を諫めながらリターン。

「あ、私いつも隣に車を止めてますもんね。
違うの、父が昔乗ってた車、
私も大好きだったんだけど、その車のナンバーなの。
昔はナンバー選べなかったから、
偶然についたナンバーでしょ、思い入れがあって。
ちなみに、父も今の車に同じナンバー付けてるの」

彼女の声は弾んでいて
ぼくがちょっと戸惑うほどのレスポンス。
それがすごくうれしくて、
そのあと、何を話したか、
ぼくが何を口走ったか、覚えていない。


だけどそれ以降、
ぼくと彼女の距離が狭まることも
広がることもなく。
ぼくは彼女にとってただのエキストラで居続けた。
それでよかった。

ただ、
ぼくの中でのヒロイン度はどんどん増して。
彼女が稽古に来るのが週1になったり、
ぼくも仕事の都合で稽古に参加できなかったりして、
会わなければ会わないだけ
ぼくの…認識していない願望みたいなもの…は
否応なしに膨らむ結果となった。


時々、先輩やエキストラと交わしている会話で
彼女が病院勤務だけど看護師じゃないとか、
彼女がもうすぐ車を買い替える予定だとか、
彼女について知ることはあったけど。
彼氏がいるのかとか、結婚しているのか、とか。
ぼくが本当に知りたいことは
耳にすることはなかった。


ぼくにとっての彼女は
「あこがれ」であり続けた。




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