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ふたりが一緒に生きるということは [sensitivity]


「あなたがしあわせになることが
 わたしがしあわせだとかんじることとはちがう」

「わたしのくのうのうえをとびこえようとするあなたのしあわせを
 わたしがすなおによろこべるとおもう?」

そんな呪文のような想いを
子供の頃から感じて育ってきて
私はシアワセになってはいけない人間で
私が悩み続けることが
私自身の存在を感じる唯一の方法で

そんな生き方


「呪縛」

きっとまだ完全に逃れられていない



いつの頃からだろう
今の自分の置かれている感情と
実際の自分が近くなってきたと
そう感じられるようになったのは


自分の感情を確かめたくて
自分のカラダを使ってココロを傷つけ
そんな刹那的な時間をどれくらいすごしただろう


約束をするのが怖かった
守られることのないものが
約束だと思っていたから
「儚く淡い想い」をことばにすると
それが「約束」になってしまうと思っていたから


まだ時々パニック的に
元の結婚相手を思い出すことがある
苦しくなり涙がこぼれ
そのあとは決まって人に会いたくなくなる
あの人は
私のよく知っている人に似ていた
あの人と離れることが
私が解放される近道だと思っていた


だいぶ頻度は軽くなってきたけど
私の人生からは消すことのできない苦しみで
決して解放されることのない苦しみに変わりなく



私とタツヤ
きっと周りからみたら夫婦に見えるだろう
そしてタツヤも私も
それを無闇に否定したり拒否したりしなくなった
逆にそれを
夫婦を演じることを
楽しんでさえもいる

それが
ふたりがこれ以上傷つかずに生きていく方法だと
ふたりともわかっているから


ふたりが一緒に生きるということは
ふたりがシアワセになることではなくて

ふたりが似たような痛みをもっている証なのかもしれない



いつになったら
わたしはシアワセになってはいけない
そんな呪縛から逃れられるのだろう



いつになったら

…母を


許せるのだろう










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江戸

母は虐待を受けて育ち幼児期から大人であることを強要され育ちました。何らかの脅迫観念の人格障害です。精一杯支えてきました。
父は13歳で東京大空襲で家族をほとんど失い辛酸をなめやはり偏った性格で母を精神病にしてしまいました。
私も精神的に親を支えるうち会社で鬱になりまた自分が日本的社会では適応しにくい事もあります。
20年経ち今は私が少しでも幸せを感じる時があれば感謝できるようになりました。幸せになって下さい。
by 江戸 (2015-02-05 23:09) 

mamia

江戸さん、いつもありがとうございます。
ひとって、みんな生きづらさをどこかに抱えていますよね。
家族関係や、社会情勢、個人の脆弱性…
私は母の歪んだ愛情表現に小学生の頃から悩まされ
いつのまにか自分を俯瞰してみるクセができていました。
そのためか、妙に冷静に自分を見ることができるんですね。
というか、自分で自分を一度突き放すというか…
でも、そのおかげで様々な感情と向き合うチャンスがありました。
あとはそれを言語化できるとすごく楽になるのかな、とも
思います。
このブログも最初の頃とはだいぶ表現も柔軟化してると…
歳を重ねるのも悪くないですね。
自分と向き合う時間を重ねてきた証拠ですものね。

by mamia (2015-02-05 23:59) 

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