SSブログ

裏mamia健在 [sensitivity]


色々あり過ぎる。
そして解らない。
…フリをしているだけ。

仲良しNsのKさんが乳癌の診断で
オペと療養生活を余儀なくされ
自分を支えてくれるものの存在に
改めて気付かされ。

自分の中に確固としてある
「何らかの思い」みたいなものを
信用して良いのか
はたしてどうなのか。

書きたい気持ち、衝動。
それを解放してしまうと
暫くは日常生活に支障を来すような
そんな恐れや
自惚れみたいな感情に苛まれたり。

ただ、ただ、求めているのは
「必要とされたい自分」だけど
それは解っているのだけれど
本当にそれだけ?って。

複雑すぎる様々な変動に
平気なフリをするのには慣れたけど
何が足りないんだろう?
何を欲しがっているのだろう?

答えを求めつつも
答えを知る無意味ささえも
解っているような
 自己矛盾の連続。

何も変わってない
この葛藤と自己矛盾の連続こそが
多分、本当の私。

平日休みの午後に
独り店に入り
ワインを空けている時点で
私は自由だ。

本当はそれだけのこと。

考えなくても良いことを
漠然と考え捏ねくりまわす。

回りに何が起ころうと
私が健在である証拠。










nice!(0)  コメント(0) 

日々流々 [sensitivity]


日々、様々なできごとがあり
ひとつひとつ
向き合うか流すか選択し
そうして重ねた日々が今日になり。

夏の思い出のはじまりは
恐怖としか言いようのない国家試験前日。
コンタクトレンズ破損、
やむなく眼鏡のみで
そのまま試験の地、仙台に赴かざるをえず
その日は
あいにく地元の夏祭りの日
最寄り駅駐車場が満車で車を止められない
自宅に戻りタクシーを呼ぶもタクシーも来られない
再び駅から徒歩10分の駐車場に車で出向き
指定席予約の新幹線
汗だくで走り3分前にホームにたどり着く

夏の仙台は七夕まつり直前
観光客でごった返し
ホテルまでの徒歩5分
パンプスのヒールを舗装の溝にとられ破損
カツカツ鳴らして
時にかかとを浮かせて歩行
駅前の飲食店はどこも満席、
単身では入りずらい雰囲気
やむなくコンビニ夕食

馴染んだホテル
ようやく落ち着いて過ごす夜

国家試験当日
試験問題を開けば
見たこともない専門用語の羅列
5月からたった3か月の付け焼刃では
太刀打ちできるはずもなく
午前も午後も試験時間ぎりぎりまで粘り
粘り疲れ

帰路、抜け殻同然
脱力感だけが身体を支配する

8月末は学会で名古屋へ
仲間と前のりし夜の街を飲み歩き
最終的にショーパブへ
なんだか懐かしい遊び方
学会では様々な学びと刺激を受け
再来年の開催に向けて準備が始まったことを実感


国家試験結果発表
奇跡的に私の番号がサイトに表示されていて
喜びよりも先に震えがくる程の驚き
合格証書が届くまでは信じられず

一緒に国試を受けた同僚3人
だれも触れないところを見ると
私を気遣って合格を言わないのか
ダメだったから公表しないのか
結果を聞くこともできず

最終的には合格したのは私だけと判明
ひとりでは喜びを露わにすることもできず

そうしているうちに秋がきた

日々流々

落ちすぎることもなく
万策尽きたわけでもなく
流れていく日々に追われるように
受け止めること流すこと
その選択だけで今日に至っている。


きっと
未来の今日になれば
思い出となって懐かしく感じるはず

日々は流れ流れて今日になる







nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ:blog

嫌悪 [sensitivity]

ひとりであるく
背筋をピンって伸ばして

しあわせに溺れすぎていて
いつもさしのべられる手を
疑うことなく掴むだけだった

溺れすぎていて
不安になることはあっても
当然になってしまっていて


お互いの置かれた状況を考えれば
当然の今

自分の今を
他の誰かに伝えようとも思わないし
共有してもらおうとも思わない


だから

ひとりでいる私を
かわいそうだとおもうのはやめてください
私は私の意思でひとりであるき
自分に与えられたものを
ひとつづつこなしていくだけ

安易なことばがけ
一緒にいてあげようか、的な
強がらなくていいんだよ、的な
それは
今の私を侮辱している以外の何物でもない

私は
自分の価値観をおしつけるつもりも
自分をわかってほしいとも思わない
私を安易に扱えると思っている人と
一緒にいるほど落ちぶれていない

私は
ひとりで歩くことを選んで
前を向いています

たくさんの感情の中から
凛とした自分を見つけ出し
そこに向かって歩いています




私は
あなたのような浅はかな人は
大嫌いです



nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:blog

それぞれの道 [sensitivity]


もともと別の道だったのが
いつの間にか平行して走っていて

時々合流してみたり
高速道路になったり
砂利道になったり

月日の経過は
道路の見えない劣化も生じさせ

そしてそれぞれの方向に
新しい方向に
伸長していくだけのこと


私たちは並行していた道を
少し離して
歩むことになりました


nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:blog

なんてこと、ない。 [sensitivity]


なんてことない、
そう割り切って
考えなくちゃいけないことも
長く生きていれば
それなりにあるものだ。


そのうちの1回が
昨日だっただけのこと。


なんてことないよ、
何年か後にはきっと
あの時あんなことあったね、って
きっと言えるはず。


大丈夫。
 
 大丈夫だよ。

って本当は
誰かに言ってもらいたいだけ。


ただ、それだけのこと。



nice!(2)  コメント(0) 
共通テーマ:blog

mamia。裏と表。 [sensitivity]


Facebookのアカウント持ってはいたけど
ずっと怖くて稼働させずにいた
なんとなく
その時期が来たのかな、って感じたから
公開して友人に見つけてもらえるようにした

職場の後輩から
中学の友人から
そこそこ友達申請が来て
「つながる」ことへの恐怖感みたいなものが
ちょっとだけ変わった気がした


今までの「見つけられたくない自分」は確かに存在して
いまも根強く存在して
だけどその一方で
自分がきちんと自分の力で生きているんだ、ということを
きちんと自分の友人知人に知ってもらいたかったりと
複雑な心境は変わってはいないのだけど

今の職業である以上
情報や横のつながりは必要不可欠で
知識や現状把握にSNSは有効なツールであることは
疑う余地がなくて

友人知人の確固たる信念や活動を見て
自分もそうありたい、と思う反面
そんなのをアピールしてどうなる、という
意地悪な自分もいて

だけど、それが自由なんだ、ってことが
それが表現なんだ、ってことが
どうやら私にも感覚的にわかってきたみたい

必要なものだけを吸収し
今必要でないものや悪しきものは
別に気にしなければいいだけのこと  
情報の取捨は自分の判断でできること

そう思ったら
少しだけ楽になった

Facebookだけで自分が語られるわけでもなく
ここで
こうつぶやき続けている自分も確かに自分で


表mamiaと裏mamiaがあるとすれば
ここはたぶん裏mamiaで
すごく深い部分で裏mamiaで
表mamiaは公的なmamiaになってくるのだろう

なにも変わるわけではなく
表裏あってのmamiaだというだけのこと
これまでの表mamiaはあまりに臆病すぎて
その臆病さゆえに裏mamiaに依存し続けていたから
この辺で少しだけ表に出てがんばらないと


表mamiaを知っている友人は
裏mamiaを知ることがなく
裏mamiaを知る人は
表mamiaを知ることがなく

それが可能になったことは
私にとっては幸運なのかもしれない




公的な私が
こんなに闇の部分を持っているとは
だれも思っていないところが
またなんとも言えないんだけどね。

きっと誰にでもある
裏と表。




nice!(3)  コメント(0) 
共通テーマ:blog

軌道修正完了 [sensitivity]


なんだか、久しぶりに
長い迷々だったけど
なんとか
軌道修正できたみたい

陽のさすところも
雨のふるところも
私でしかないんだものね

20170817.jpg



ま、なんとかやってみましょう


nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:blog

 [sensitivity]



わかってる…。
大丈夫だよ。
もうおとなだもん。
わかってるよ。



…..


nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ:blog

ゆっくり、あるこう [sensitivity]



日々、迷々している私ではありますが
なんとなくやってきた波に
なんとなく乗って
漂っている風で
なんとなく波風を起こす立場になっていたりして

自分の置かれた立場とか
何も考えずにそこに立ってしまっている怖さとか
本当に何も考えずに
感覚だけでやってきてしまっている現実と向き合って
ちょっとだけ
本当はやばいんじゃない?みたいな感覚もあって


自分の勉強のためとかちょっと興味あるからとか
その程度の意識で取り組んできた、
つまり、頑張ってはいない程度の参加意識で。
それがこんなにも大きな関心を持たれる出来事だったのか、と
今更ながらに気づいた次第で。


昨年の3月から始動した取り組みに
初めから顔を出していた立場上、
ま、興味はずっと持っていたわけだけど
本格的に支援チームとして
取り組み始めたのが今年1月の件。

弁護士さんやその他の方たちと
様々な立場から意見を交わして
経過的に書類作成に携わったり
裁判で証人として出廷したり
その流れで新聞各社から取材申し込みがあったりと。

なんとなく私たち士業の中心メンバーとして捉えられ
そう思われるほどの知識や能力が備わっていないことや
自分の物事の捉え方の稚拙さや
知識量や語彙力の不足が如実に現れて。

その反面、自分のやってきたことに関しては
ある一定の自負と自信もあったりして。

内省型の私としては
自分の反省点ばかりが気にかり
足踏みをしてしまうことも多々あるけど
今回はなんだろう
自分のこれまで培ってきたスキルが
その人の人生を支えるきっかけになるかもしれない、
そういうものなんだ、って実感したというか
それが社会からの反響=マスコミの関心事という
リアルな現実が目の前に広がって
初めて分かったというか。


ま、少しずつ少しずつ
今の自分にできることをやっていけば
それでいいのかな

昨日、友人たちと出かけた先で引いたおみくじ
珍しく大吉だった
今までの成果が実る、ってあった
そんな感じなのかな


ゆっくりあるこう。
前に進む勇気を持とう。
積み重ねてきた自分を
少しだけ信じてあげよう。


ゆっくり、あるこう。




nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:blog

ふたりが一緒に生きるということは [sensitivity]


「あなたがしあわせになることが
 わたしがしあわせだとかんじることとはちがう」

「わたしのくのうのうえをとびこえようとするあなたのしあわせを
 わたしがすなおによろこべるとおもう?」

そんな呪文のような想いを
子供の頃から感じて育ってきて
私はシアワセになってはいけない人間で
私が悩み続けることが
私自身の存在を感じる唯一の方法で

そんな生き方


「呪縛」

きっとまだ完全に逃れられていない



いつの頃からだろう
今の自分の置かれている感情と
実際の自分が近くなってきたと
そう感じられるようになったのは


自分の感情を確かめたくて
自分のカラダを使ってココロを傷つけ
そんな刹那的な時間をどれくらいすごしただろう


約束をするのが怖かった
守られることのないものが
約束だと思っていたから
「儚く淡い想い」をことばにすると
それが「約束」になってしまうと思っていたから


まだ時々パニック的に
元の結婚相手を思い出すことがある
苦しくなり涙がこぼれ
そのあとは決まって人に会いたくなくなる
あの人は
私のよく知っている人に似ていた
あの人と離れることが
私が解放される近道だと思っていた


だいぶ頻度は軽くなってきたけど
私の人生からは消すことのできない苦しみで
決して解放されることのない苦しみに変わりなく



私とタツヤ
きっと周りからみたら夫婦に見えるだろう
そしてタツヤも私も
それを無闇に否定したり拒否したりしなくなった
逆にそれを
夫婦を演じることを
楽しんでさえもいる

それが
ふたりがこれ以上傷つかずに生きていく方法だと
ふたりともわかっているから


ふたりが一緒に生きるということは
ふたりがシアワセになることではなくて

ふたりが似たような痛みをもっている証なのかもしれない



いつになったら
わたしはシアワセになってはいけない
そんな呪縛から逃れられるのだろう



いつになったら

…母を


許せるのだろう










nice!(3)  コメント(2)  トラックバック(0) 
共通テーマ:blog

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。