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こぼれる雫はゆうやみにとける 9 [こぼれる雫はゆうやみにとける]

 

今、ぼくは「彼女」と結婚し、
それなりに幸せな家庭を築いている。
稽古にもそれなりに行っているし、
ぼく自身、あれから昇段し、称号も得た。

そのたびにお祝いの会をしてもらっているけど
あれ以来
彼女が現れることはなかった。



今日は先輩の昇段祝いだ。
一次会もいつもの盛り上がりをみせ、
これからまだまだ勢いの余っているエキストラと二次会。


いつもと違うのは
そう、
ぼくのヒロインが出席している。


街中の飲み屋街に叩きつけた夕立も上がり、
歩道は艶を出し、
路面の水たまりには信号機が揺れながら写っている。
先を行くエキストラたちが
水たまりの信号機をぶち壊しながら歩いていく。

彼女が右手に持った傘を小さく折りたたみながら
歩みをゆるめる。
ぼくもそれとなく歩みをゆるめた。

街路樹からひとしずく

彼女の髪にこぼれる。


「ひと雨降って涼しくなりましたね」

彼女がいつもの彼女のままぼくに話しかける。

「そうですね、このくらいが過ごしやすい」

前を行くエキストラたちにぼくらを気遣う様子はない。
ぼくは続ける。

「こうして話すの、すごく久しぶりですね。
なんだか、人数多くて話すタイミングありませんでしたね。
テーブル、だいぶ離れてたし」

「そうね、これまでも
あまりお話しする機会なかった…ですよね」

ぼくの1歩だけ前を歩く彼女が答える。





「あのときね、本当はうれしかったの。そして謝りたかった」

振り向くか振り向かないか。
彼女は表情を見せない。

だけどわかった。
ぼくにはわかった。

ここにいる彼女は「あのとき」の彼女だ。
消えてしまいそうな、危うい、儚い、彼女だ。




彼女が立ち止まる。


「もう時効…ですよね」


ぼくも立ち止まる。

彼女はひとり語りのように話し始めた。



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